いりまめ 『めもりい』

気になることがあったらどんどん書いていこうかと思っています。 アニメ・ゲームなどの軽いものから、 政治・ニュースなどの重いものまで何でも書きます。

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No.2_ショーン・マイケルズ

久々(しかも2回目)のスーパースター紹介のコーナーです。

いつものごとく、主な情報源はウィキペディアなので、
あまり信じすぎないように!

さあ、第2回目に紹介いたしますのは、
WWF~WWEにかけて、おそらく最もトップスターで居続けた男、
レッスルマニア26で、遂にリビングレジェンドからレジェンドとなった男、

HBKこと、ショーン・マイケルズです!




ショーン・マイケルズ、本名、マイケル・ショーン・ヒッケンボトム。【Michael Shawn Hickenbottom】
アリゾナ州チャンドラー生まれ、テキサス州サンアントニオ出身。
身長186cm、体重102kgの左利き。
主なあだ名に、HBK(ハートブレイク・キッド)、ショーストッパー、
Mr.レッスルマニア、セクシーボーイなど。

1984年9月8日に地元サンアントニオ地区のテキサス・オールスター・レスリングにて、
アート・クルーズを相手にデビュー。

AWAを経由し、WWFと契約するが、ナイトクラブで乱闘事件を起こし、
たったの2週間で解雇される。

その後、再びAWAに戻ったショーンは、AWA世界タッグ王座を獲得するなどと活躍し、
1988年、ザ・ロッカーズとしてWWFと再契約。

1991年1月には初来日、3月に再来日した際には、
東京ドームで、ハート・ファウンデーションと対戦している。

1991年11月27日、Survivor Series 1991における同士射ちで相棒のマーティ・ジャネッティと仲間割れ。
このヒールターンにより、有名なハート・ブレイク・キッドのギミックが始まる。

その後、WWFを一時離脱するが、その間、空位になっていたIC王座をレイザーラモンが獲得、
それを認めないショーンはWrestleMania XでIC王座をかけて、
レイザーラモンとラダーマッチを戦う。
ショーンの王座獲得はかなわなかったものの、これが歴史に残る名試合となり、
ショーン・マイケルズの大ブレイクのきっかけとなる。

1995年のRoyal Rumble、1996年のRoyal Rumble 1996で史上初の2年連続優勝を果たす。

WrestleMania XIIにおいて、WWF世界ヘビー級王者ブレット・ハートとWWF史上初のアイアンマン・マッチで対戦。
入場シーンでは会場のアローヘッド・ポンドの屋外最頂部から、
滑車を使ってロープを滑り降りるという破天荒な入場パフォーマンスをやってのけた。
試合は後にショーンが「自分の現役生活でも最高の試合」と評するほどの激闘となり、延長戦の末勝利。
初のWWF世界ヘビー級王座奪取を果たした。
しかし、この時の経緯を巡りブレット・ハートは激怒し、彼との間に大きな確執を残すこととなった。

SummerSlam 1997では、ブレット・ハート対ジ・アンダーテイカーの、
WWF世界ヘビー級王座戦のゲストレフェリーを務めた。
この試合の決着はショーンのテイカーへのイス攻撃誤爆によってブレットが勝利を奪うことになる。
これがきっかけとなりアンダーテイカーとの抗争が勃発、
10月のバッド・ブラッドにて初のヘル・イン・ア・セルが行われた。

試合は金網の外側にも及び、天井での攻防の末に5メートルしたに落下するなど激闘となる。
結末はケインの乱入によってテイカーの敗北。
この抗争の最中、9月20日のイギリス・バーミンガム大会において、
ブリティッシュ・ブルドッグからWWFヨーロピアン王座を獲得、
これによって初のグランドスラムを達成。

1997年秋、再度ヒールターンしてハンター・ハースト・ヘルムスリー(HHH)、
チャイナらとD-ジェネレーションX(DX)を結成。
ブレット・ハートをリーダーとしたハート・ファウンデーションと抗争を繰り広げた。

そして、同年11月、モントリオールで開催されたSurvivor Series 1997。あの事件が起こってしまう。
そう、モントリオール事件である。

この事件は、ショーン、ブレット、ビンス、多くの人間の人生を変えることになったのだろう。

その後、椎間板ヘルニアが悪化し、
1998年3月29日、WrestleMania XIVでのWWF世界ヘビー級王座を賭けた、
ストーン・コールド・スティーブ・オースチン戦を最後に一度引退する。

引退後は、後進の育成をしつつ、時折TVにも姿を見せ、
私生活においては、親友ケビン・ナッシュの紹介で出会った、
元ナイトロ・ガールズのレベッカ・カーチと結婚した。

2002年、nWoの新メンバーとしてケビン・ナッシュがショーンを連れてくる形で衝撃の復帰を果たしたが、
スコット・ホールが不祥事を起こし離脱、ケビン・ナッシュも負傷休場してしまいnWoが崩壊してしまう。

その後、HHHと抗争、Survivor Series 2002での初のエリミネーション・チェンバー・マッチで、
トリプルHを倒し初の世界ヘビー級王座を獲得。
更にジェリコやベノワとの抗争を経て、
WWE RAW's Bad Blood 2004にて、HHHとのヘル・イン・ア・セルマッチを闘う。
これが、30分以上にも及ぶ、壮絶な試合となり、
最後は合計3発のペティグリーを浴びて敗北、完全決着に至った。
そして、翌日のケインの襲撃を期に長期欠場に入る。

2006年7月にHHHとDXを再結成、マクマホンファミリーと抗争。
抗争決着後、エッジとオートンのタッグ、レイテッドRKOとの抗争に入るが、
HHHの負傷により、DXのストーリーは急遽中止となる。

その後、シナ、オートンとの抗争を経て、
WrestleMania 24で、リック・フレアーと、フレアーの引退をかけた試合を行い、
最後はフレアーに鼓舞される形で、フレアーに引導を渡す。(その後、フレアーはTNAで復帰・・・。)

そして、ジェリコとの抗争、JBLの従業員を経て、
WrestleMania25で、アンダーテイカーと対決。
試合は、その年のベストマッチに選ばれるほどの名試合となった。

WrestleMania25の後、長期休養に入っていたショーンは、
なんと、とある会社の食堂でシェフをしていた!(もちろんギミック)
HHHにもう一度DXをやろうぜ!と言われるも、
「現在の仕事に満足している」と、首を縦に振らないショーン。

しかし、店の支配人に罵倒されると、そいつに向かって、スイートチン!
更に偉そうなガキにもスイートチン・ミュージック!
こうして、DX再結成となったのだった。

DX再結成後は、レガシーと抗争し、コーディ・ローズとテッド・デビアシjrの格上げを行い、
更にジェリショー(ビッグショー&クリス・ジェリコ)と抗争をし、
DX初の、統一タッグ王座に輝く。

2010年01月04日のRAWで12年ぶりにWWEに復帰したブレット・ハートに呼び出され、
モントリオール事件以来、確執が続いていると思われた両者が握手をして抱き合い、和解した。

2010年3月28日、Wrestlemania 26で、
アンダーテイカーのレッスルマニア無敗記録と、
ショーンの現役引退を懸けた反則裁定無しの試合が行われた。
この試合はWWE王座戦と世界ヘビー級王座戦を差し置いてメインイベントとして行われ、
前年の対戦に勝るとも劣らないプロレス史上最高の名勝負を繰り広げた。
終盤、アンダーテイカーの必殺技ツームストーン・パイルドライバーを浴びてもショーンはキックアウト。
テイカーが首を掻き切るポーズでもう一発ツームストンを放つ意思を示そうとしたが、
敗れれば引退することになるショーンに対してトドメを刺すことを躊躇する。
しかし、ショーンは「情けは無用だ!」とばかりにテイカーの代名詞である首を掻き切るポーズで挑発、
張り手を浴びせ、激怒したテイカーのジャンピング・ツームストン・パイルドライバーを浴びて敗北、
引退が決定する。
その後、起き上がれないショーンをテイカーが引き起こし、抱きとめ、握手を交わした。
会場を去るショーンには惜しみない拍手が送られたのだった・・・。

翌日のRAWの放送で、引退セレモニーが行われ、ファンへの感謝を述べた。
ファンは「Please,don’t go!」「One more match!」など留意を促すチャントを何度も飛ばし、
ショーンへの敬意を表すために顔を見せたアンダーテイカーに対して途中までブーイングを浴びせるなどした。
(極悪ヒールを演じていてもブーイングをほとんど浴びないアンダーテイカーに、ブーイングが飛ばされるのは異例のこと)
そして番組の最後でトリプルHと抱き合い、DXが3度目の終焉を迎えた。

主な技

☆スイート・チン・ミュージック
 ショーン・マイケルズの代名詞。
 美しいスーパーキック。
 フライング・フォアアーム⇒ヘッドスプリング⇒逆アトミック⇒スクープスラムから、
 ダイビングエルボーをきめ、ロープをつかみ、足踏み(調律)を開始し、
 起きあがってきた相手に決める事が多く、
 一瞬のカウンターで出す事もある。
☆フライング・フォアアーム
 主にロープに振られた後カウンターで出す。
 ヒットした後は、ヘッドスプリングで起き上がるのがお約束。
☆ムーンサルト・アタック
 若い頃はもちろん、晩年も大一番のここぞという所で使用していた。
 (引退試合のテイカー戦でも、実況席に向かって使用。)
☆ダイビング・エルボードロップ
 こちらもショーンの代名詞。
☆リバース・アトミックドロップ
 カウンター式をよく使う。
☆変形足4の字固め(変形フィギュア・フォー・レッグロック)
 ジェイミー・ノーブルから教えてもらったらしい。
☆ドロップキック
 若手のころに好んで使用した。
☆逆水平チョップ(ナイフエッジチョップ)

主な獲得タイトル

★WWF / WWE
☆世界ヘビー級王座 : 1回
☆WWE王座 : 3回
☆インターコンチネンタル王座 : 3回
☆WWF欧州王座 : 1回
☆WWFタッグ王座 : 3回(w / ディーゼル×2、ストーン・コールド・スティーブ・オースチン×1)
☆世界タッグ王座 : 1回(w / ジョン・シナ)
☆WWE統一タッグ王座 : 1回(w / トリプルH)
☆ロイヤルランブル優勝(1995年、1996年)
☆グランドスラム達成(1997年)

★NWA
☆NWAセントラル・ステーツ・タッグ王座:1回(w / マーティ・ジャネッティ)

★AWA
☆AWA世界タッグ王座:2回(w / マーティ・ジャネッティ)

★CWA
☆AWA南部タッグ王座:2回(w / マーティ・ジャネッティ)

★その他
☆TASWテキサス・タッグ王座:2回(w / ポール・ダイヤモンド)
☆TWAヘビー級王座:1回



『筆者の主観』

私はショーン・マイケルズの試合を観た事があまりありません。
ただ、数少ない私の記憶の中に残るHBKの試合は、名試合ぞろいな気がします。

中でも、アンダーテイカーとのレッスルマニアでの試合は、
今でも脳内に強烈に焼き付いています。(感動してMADを作っちゃったくらいですしw)

そして、引退する年のロイヤルランブルで、
ショーンと(30秒だけ)闘えたヨシ・タツは、本当に幸運だったのだと思います。

もう二度とHBKの試合が観れないと思うと、残念でなりませんが、
TNAで復帰!ってのだけは、勘弁していただきたいw


HBKを超えるレスラーは、今後現れるかもしれませんが、
HBKが現れる事は無いでしょう。

そういう意味でも、唯一無二の、“SUPERSTAR”だったのではないでしょうか?

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No.1_ヨシ・タツ

今回から、書くネタが無い時などに、
WWEスーパースター(元を含む)を紹介していきたいと思います。

ただ、情報源が主にWikipedia等なので、
ところどころ、間違いがあるかもしれませんので、ご了承ください。

さて、栄えある?第1回目(No.1)は、
2010年5月現在、ただ一人の日本人スーパースター、
ヨシ・タツ【Yoshi Tatsu】です!



ヨシ・タツ、本名・山本尚史は、元新日本プロレスのレスラー。

24歳の時に新日本プロレスに入門する。
この時の同期には、中邑真輔、田口隆祐、長尾浩志、後藤洋央紀などがいる。

デビュー戦は、同年10月12日に行われた、後楽園ホールでの井上亘戦。

現在はハイキックとコーナーからのスピニングヒールキックを必殺技としているが、
日本時代は、後藤達俊直伝のバックドロップであった。

しかし、日本時代は、トレーナーであった、永田裕志とのタッグでのIWGPタッグ王座戦、
そして、2006年2月の岐阜産業会館で行われた棚橋弘至との試合以外は、
タイトルマッチすらする事ができなかったという、(未確実)
不遇の時を過ごしていました。(実力に難があったのも事実)

そのため、JsportsのCMにおける、
「燻ってたんですよ、あの頃は・・・」
という台詞が、一部において人気?を博している。
(ちなみにこの後、「でも、今のおれは違う!」というセリフもある。)

こんな山本が、2007年11月より、無期限海外遠征で、
フロリダ州タンパを拠点に、WWEの下部組織であるFCW等で活動を開始。

さらに、2008年2月には、新日と契約をせずにフリーに。
4月にはWWEのトライアウトに合格し、WWE所属となる。

この時、誰もが山本がWWEで成功するわけがないと思ったであろう。

しかし、2009年6月30日、その時は訪れる。

WWEにTVの一つであるECW(現在は消滅)に登場し、
わけのわからないジャパニーズであるヨシ・タツを馬鹿にする、
シェルトン・ベンジャミンをハイキック一閃でKO。
そのままフォールし、デビュー戦を勝利で飾る。

その後は、抗争相手には恵まれないものの、
ファンからの人気(歓声)は、何故か高く(大きく)、
日本人には分からない、『謎の人気』で、
エージェントからは、「ECWのトップベビー」と評されるほどに。

そして、同年10月27日。
クリスチャンの保持するECW王座に挑戦。
結果は敗北に終わったものの、この試合は、
WWE Universeが選ぶ2009年ベストマッチ25で22位にランクイン!
しかもこれは、ECW全体の中でも2位という、非常に素晴らしいものに。

さらに、同年12月14日にはWWEの中でも最高のTVである、RAWに登場。
しかも、この試合で、ザック・ライダーからピンフォールを奪う。

そして、2010年1月31日には自身初のPPV、ロイヤル・ランブルに登場。
メインのロイヤルランブルマッチで、
リング上にはジョンシナとHBKという状況で登場。
シナとHBKに得意技を見舞い、一時はリングを支配したが、
ハイキックを狙った所でシナに落とされる。
その間わずか30秒であった。
だが、ヨシ・タツは自身のブログにおいて、
「今までの僕の人生の中で一番輝いた30秒間になりました。」
と、綴っている。

また、同年3月28日には、WWE最大のPPVである、
レッスルマニアのダークマッチ、26人バトルロイヤルに登場。

この試合でヨシは、なんと見事に優勝を遂げる。
日本人によるWWEでのバトルロイヤル優勝は、アントニオ猪木以来、
レッスルマニアでの勝利は、曙以来6人目という快挙であった。

ヨシ・タツはECW消滅後、RAWに移籍し、
現在は主にSUPERSTARS(2010年5月現在日本未放送)に登場。
RAWには、ジョン・シナ、エッジ、ランディ・オートンなどの、
世界王座級、またはUS・IC・タッグ王座級の選手が多く在籍し、
ヨシにとっては、非常に厳しい状況が続いている。

その他、子供人気がかなりあるようで、
劣勢の際、客席から(特に子供の声で)ヨシ・コールが起こる事も多い。
クリスチャンとの王座戦の際は、
周囲が皆クリスチャンに声援を送るなか、
TVのマイクが拾うほどの大声で、ヨシに声援を送る子供もいたようだ。

主な技

・ハイキック
 ECWからは、主にフィニッシャーとして使用。
・トップロープからのスピニングヒールキック
 ECW昇格当初はスプリングボード式だったが、2回目の使用の際に失敗し、
 その後はコーナーから決めている。
 現在はフィニッシャーとしてつかわれる事が多い。
・パラレルスナップメア
 自らも相手と並行して前方回転しながら投げるフライング・メイヤー。
 回転した勢いで素早く立ち上がり、胸板へのキックへと連絡する。
 投げる前に、「行くぞオラー!」と言うのがお決まり。
・ラウンドハウスキック
 主に右のミドル→左のミドル→ローリングソバットの流れから、
 上記のパラレルスナップメアへと移行したり、
 ソバットからさらにドロップキックを見舞う。
 キックがヨシ・タツの基本スタイルである。
・ローリングエルボー
 ECWから使用。初期は型が崩れる事も多かった。
 この技を決めた際、解説のマット・ストライカーが、
 「oh! rolling elbow!」と叫ぶのが印象的。
・介錯
 渡米後のFCWでのフィニッシュホールドで、飛びつき(ヘッドシザース)式卍固め。
 ECW昇格後はTVでは使用していなかったが、2010年4月5日の『SUPERSTARS』にて、
 エヴァン・ボーンと組み、チャボ・ゲレロ、ザック・ライダー組とタッグマッチで対戦した際、
 ザック・ライダー相手に昇格後初めて使用した。
・シャイニングウィザード
 こちらもECW昇格後は、2010年5月27日放送の『SUPERSTARS』において、
 プリモ・コロン相手に初使用。
・天下獲りバックドロップ
 上記の後藤達俊直々に指導を受け習得した日本での必殺技。
 キャラクターに合わないためか、WWEでは使用していない。




『筆者の主観』

とは書いたものの、上のも完全に主観ですw

ヨシは、ファン層がジョン・シナに似てる気がするんですよね。
まあ、その大きさは比べ物になりませんが、
子供人気を取ろうとしている現在のWWEの状況は、
ヨシにとっては、追い風なんじゃないかと思います。

ただ、やっぱり、ここのところ、
ブーイングが起き始めているのが不安なような、嬉しいような。
(アンチがいるのはある意味、人気者のバロメータのような気もするので。)

正直、素人目に見ても、上手とは言えないヨシ・タツですが、
一試合一試合から、必死さを感じ、
それが応援したくなる要因の一つなのでしょう。

もし、ヨシが今より上手になったとしても、
『必死さ』が無くなれば、ヨシはWWEから消えることになるのだと思います。
WWE唯一の日本人レスラーであるとともに、
WWEでは珍しい、『全く完成のされていない、不器用な人間』
であるヨシ・タツを、これからも、応援していきたいと思います。

ガンバレ、ヨシ・タツ!

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