いりまめ 『めもりい』

気になることがあったらどんどん書いていこうかと思っています。 アニメ・ゲームなどの軽いものから、 政治・ニュースなどの重いものまで何でも書きます。

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価値

世の中には、一つでウン千万や数億の『価値』のある、美術品や骨董品などがある。

数日前に、私は東京国立博物館で行われている、『皇室の秘宝』という展示を見に行った。
そこでは、上記のような値段の物や、値をつけることが出来ない物が展示されていたそうで、
見る人はみな、とても真剣な顔つきで見ていて、
良く解らないことを話しながら見ている人もいた。

そんな所に、美的価値観の皆無である私が行ったのである。

まあそんな私でも、『凄いもの』ということはなんとなく分かる。でも、ふと思ったのは、
「どうして凄いものな気はするのに、大きな感動が無いのか?」ということである。
確かに、そこにある物の、世間一般的な『価値』は分かる。
教科書に出ているような、普段はお目にかかれない物ばかりで、
世界に二つとない、貴重な物だったということも分かる。

では何故、私は周囲の『美的価値観』のある人たちのように感動を得られなかったのだろうか?

まず、根本的に、美術という物に興味が無い事だろう。
私は、絵画や絵皿、壺などのような、視覚から訴えかけ始めるようなものには興味が無く、
もっと広い、舞台や音楽のように、様々な所から訴えかける、芸術には興味があるということだ。
どうも私は『見た目』で判断するのが嫌いらしい。(人は見た目が大事だとも思うが…)

そして、もうひとつ、物の価値という物に納得できないからだ。
だいたい、物の価値とはなんだ?
なぜ、描いたり、書いたり、作ったりした人によって、価値が変わるのだろうか?
私は、『有名な絵』と言われてみた物に対して、
「テレビや本で見たことがある!」という感動こそ得られるが、
作品そのものに吸い込まれるような感動を得たことは毎回ではなく、
逆に、幼稚園や小学校の子供が『お絵かき』で描いた絵や、
インターネットで、偶然見かけた絵に興味をひかれたり、
「いいなぁ…」と思うことがよくある。

これは何なのだろうか?
絵にこもった魂という点においては、画家の描いた絵の方がこもっているだろうし、
訴えかけるもの、誰かに絵を通して伝えたい心や想いに関しては、
子供のお絵かきは、そこまで考えていないのではないかと思う。

そこで思ったのが、『楽しむ』ということだ。

画家の中には苦しんで描いた物も多く、逆に、
ネットで見つけた絵や、子供のお絵かきは、楽しんで描いていることが多い。

どんな物も、苦しいときの物より、楽しいときの物の方が良いに決まっている。

例えば、サッカーの試合でも、楽しんでプレイしている選手たちの試合は、見ている方も楽しくなるし、
優勝をかけた試合に勝ち、トロフィーを掲げる選手たちを見ると、
サポーターでもないのに微笑ましい気持ちになる。(他クラブのサポーターは違うと思うが…)



きっと私には、『楽しんでいる人』の作品やその人に『美』という物を感じるのだろう。
そして、会場の他の人の多くは、そのほかの物に美を強く感じていたのだろう。

人の感じる美しさは人それぞれであり、『価値』という物はその目安に過ぎず、
『価値』があるから良いものだとは限らず、
子供の描いたヒマワリの絵も、見る人によっては、ゴッホの絵を超えるのだろう。
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